既に名が出たナダール、カルジャに彼の先生のピエール・プティ、ナポレオン三世のお抱え写真家、名刺判肖像写真を発明して写真の普及に貢献したディズデリの4人を、名刺判肖像写真に追いました。
ディズデリ 左は奥さんに任せて出奔した郷里ブレストの写真館のものです。
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その裏
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プティ
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その裏
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カルジャ
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その裏
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これはカルジャが撮った写真ですが、喧嘩別れになった共同経営者の写真館の名刺判写真とその裏。
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ナダールの名刺判とその裏
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そして、取って置きの写真をお見せいたします。ドキュメント写真に匹敵する、本邦、いや多分世界で初めて公開される、ナダールのお母さんの若い時の写真です。ご覧のように非常に美しい人です。かなり歳が離れたナダールの父親とパリで知り合い結婚、手広くやっていた出版業も諸般の事情でうまく行かず、郷里に戻りった父の病没後、ナダールは母と弟を連れてパリへ戻ります。その時までナダールは医者を目指していましたが、その後、経済的な問題で断念。つまり、パリに戻って、一家を支える決心をし、フェリックス・トゥールナションがトゥールナダールからナダールに ジャーナリストから戯画家を経て写真家へと変遷するわけです。そして、母親を終生愛してやまなかった様子は、この写真を見ると判る気がします。写真の縁飾りはナダール自身の手になると思われます。
ナダールの文献に見られない貴重な写真が見せたくて、横にそれましたが、肖像写真の名刺判の評判から発想したのか、油彩画複製写真の名刺判も見つけました。商魂のたくましさを感じます。ゴッホ兄弟が勤めたグーピル美術商会のものもあります。グーピル商会は画商として、世界各地に支店を作り、特に複製美術品の版画、写真を大量に販売したようです。最盛期の本社はオペラ通りのオペラ座の斜向いの角、当時のパリ繁華街の1等地にありました。この名刺判の住所モンマルトル19番地はゴッホの弟テオが任されていた画廊です。
左上から順に、ルグノー、ドラロッシュ、ドラロッシュ、オーラス・ヴェルネ、ジャック
 | 左の裏、グーピル商会とショウェル商会
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複製写真の話に流れたので、第一回印象派展の開催される二年前の1872年に描かれた大作の写真二点。(クリックすれば拡大、戻るは前記同様)
裸婦を描くために画題を考える画家たちの苦労がわかる二点。(クリックすれば拡大、戻るは前記同様)
羊飼いの娘を題材にしたアカデミックな画家の代表ブグローと、ミレーの出世作、の複製写真二点。(クリックすれば拡大、戻るは前記同様)
ここで、それほど興味深い問題ではないと思いますが、画家が写真が発明されて直ぐ、画に取って代わられる危惧を持ったと同時に、画を描く参考に利用する事を考え、実際利用した例を示した資料。
この写真を見たとき、画家が画の構図に参考にするために引いたと思いました。
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クールベは亡命先のスイスでブラウンの撮った写真でこの画を描いたと伝えられ、そんな画をかなり売ったといわれ、後年のクールベの風景画の評価を落としています。右の絵葉書はブラウンの撮影ではありませんが、なるほどと思いました。
話題をガラッと変えて、戯画家から著名な写真家になったカルジャと加えて名前のわからない写真家、それに写真家ナダール。戯画を描いたのはアンドレ・ジル。モンマルトルのシャンソン酒場で有名なラパン・ア・ジルはジルの描いたラパン(兎)を看板にしていました。ドーミエとも親しく、印象派とも知り合いのジルは画家としてサロン展にも出品していますが、最後は気が狂ってシャロントンの精神病院で亡くなりました。あまり古写真には関係ない余分な事ですね。真ん中のネガに手をくわえた戯画風写真を見せたかったのと、ジルを紹介したかったためです。
最近入手したジルの1881年のサロン展入選作品と、写真館の撮影風景がわかるので、多分、宣伝のためと思われる写真を掲載します。
余計ついでに、大好きな写真と未追跡の写真を。誰かわかりますか?
◎ 以上で複次元の世界の紹介を終わります。楽しんでいただけましたでしょうか? 悪い趣味を見せ付けられたなど
と思わずに、できたら、実際手に持って観る喜びを分かち合いたいと思っていますので、足繁くお通い下さい。