ドーミエのコレクションでお分かりのように、カリカチュールはかなり集めました、その他、フランス大革命に関する銅版画、つまり、ラジオ、テレビのない時代、識字階層が多くない時代に、視覚に直接訴える有効な伝達手段としての版画、つまり、美術作品としてより、歴史資料として庶民の関心事を反映する時代の証言として集めた版画があります。一方、一般社会には公開されない絵画を版画で複製し、美術の普及に貢献した部分もあり、専門の版画家による画の複製版画、画家自身が版画を表現手段とする以前の版画も興味がありました。それに、写真が発明される前の肖像版画も集めました。それらは原画があったとしても独立した版画家によるオリジナル版画だと思います。しかし、デューラー、レンブラント、カロになると、版画を版画として複製するので、版画家が複製技術を見せるようなもので、その見事さ、原作版画の持つ魅力の幾分かは伝わりますが、やはりコピーということになるでしょう。集めたレンブラントの版画は精巧な復刻版を含めて総てコピーです。ただ1点だけ、ルーブル美術館所蔵のレンブラントの画の複製版画はレンブラント工房のものではないかと思うくらい見事なものです。ではそれからお見せします。結局、好みで版画を選ぶことになりますが、あしからず。

レンブラント
 いかがですか、ルーブル美術館でこの「聖家族」の油彩画を見つけたとき、画とほぼ原寸のこの銅版画の素晴らしさに驚きました。久しぶりにルーブル美術館を訪ね、油彩画に再会し、記憶の不確かさを痛感しました。初めてこの画に出会った時はまさかと言う驚きが先行して、銅版画と同じレンブラントの油彩画の発見にまったく同じと言う印象しか残らなかったので、そのまま書いてしまいましたが、油彩と銅版画では画像が反転しています。そして、油彩の方がわずか大きめであると訂正いたします。また、レンブラント或いはその弟子の制作とされています。題名も「指物師の家族」ともよばれ、展示されている場所は、リシュリュウ翼の3階(2e etage)No.31のレンブラントの部屋です。

 やはりレンブラントを取り上げた後はルーベンスも、しかし、ルーベンスは版画を自分では彫らず、お気に入りの版画家に彫らしたと言う事です。
ルーベンス
タイトルが読めないので、判読できる方はお教えください。

 フランドル派の画の複製版画(掲載の版画は18世紀後期から19世紀初期の頃の制作なので状態がよいとは言えません)はオスターデ(1610〜1685)の画の19世紀中頃以降の複製が多いですが、今回、テニエルス息子(1610〜1690)の銅版複製画の多い事も発見しました。(加えると、ルーベンスはルクサンブル宮殿の為に「マリー・ド・メディシスの生涯」大画面連作を描き、パリに数年滞在しているので、ルーベンスの銅版複製画もかなりあることがわかりました。画家名が無いので誰かわからなかった銅版画がルーベンスと判明しました。)このヨーロッパの北に当たる地域の庶民生活を描いた画にはかなり魅せられました。タイトルはあるなしにかかわらず、見ての通りの庶民の生活、出来事で、省略します。 (クリックで拡大、戻るはマウスの機能か、画面上の機能、或いは収集版画の世界Uをクリック)


若くしてなくなったボニントンの石版画二点。(クリックで拡大。戻るは前記同様)

ボニントン
タイトルなし
ボニントン
DOUNE城

 ボニントンを取り上げたら、先輩のイギリス画家、第一回印象派展でブラックモンが版画で紹介し評判になった「暴風雨の中を疾走する機関車」の画家ターナーを、イギリス版画家の複製版画で二点。(クリックで拡大、戻るは前記同様)

ターナー
SNOW-STORM
ターナー
タイトルなし

 石版二点、ジェリコー(左)はかなり痛んでいますが、そうでなければ手に入らなかったでしょう。ドラクロワ(右)の複製版画は数点所有しますが、オリジナルのものはこれ一点だけ。(クリックで少し拡大、戻るは前記同様)
ジェリコー
タイトルなし
ドラクロワ
1827年制作のファウストの中の一点

コローのオリジナル銅版画二点、紙質及び刷り色から、後年、刷られたものと思われます。(クリックで拡大、戻るは前記同様)

コロー
トスカナの思い出
コロー
タイトルなし

 やはりここで、ミレーに登場願いますが、当然ミレーのオリジナル版画は所有していません。しかし、偶然のチャンスで、サンシエが「ミレー伝」にも書いている、ミレーの「樵夫と死神」の複製版画をエドモン・エドゥアンが制作し、ミレーが直接助言したと言う、その銅版画をそうとは知らずに手に入れることが出来ました。台紙にはただ十九世紀版画と鉛筆で書かれているだけで、いつものようにミレーの複製版画と思い購入。調べると、「バルビゾン派と十九世紀のフランス風景画」の中にデラートル作として挿図されていました。デラートルは刷り工房を持つ刷り師として有名な人なので、改めて銅版画を調べると、左下にimp Delatre Paris とあり、右下に読みにくくはありますが、Edm・・ edo・・その下は d'apres Millet と読めます。従って、前記した、ミレーが助言して制作されたエドモンド・エドゥアンの複製版画であることが判りました。ではその銅版画を原寸で。
樵夫と死神

 一時バルビゾンにも住んだ、サロン展の審査員として若き印象派の画家たちを評価し、ドーミエの後年の面倒を見た、若いときは版画を生活の糧にしたドービニーの銅版画。(クリックで拡大、戻るは前記同様)

ドービニー
雷雨の接近
ドービニー
タイトルなし
ドービニー
 (同じタイトルの油彩画があります)
ドービニー
明け方
ドービニー
ドービニー
VILLERVILLの浜辺

傾向を変えて、ファンタンの二点の石版画。(クリックで拡大、戻るは前記同様)
  
ファンタン
音楽家リストだと思いますが、タイトルは付いていません。
ファンタン
サイズが15.5x8.8cmと小さいですが、
削り描きの凹凸があり石版です。
【訂正】山本勲氏より2012/05/05にメールをいただき、上に掲載の石版のタイトルを正確に教えていただきました。音楽家リストは間違いで、音楽家ベルリオーズです。訂正させていただきます。また山本氏の解説を許可を得て転載させていただきます。

 「この鷲鼻の男は、音楽家ベルリオーズだとおもわれます。ベルリオーズには有名な「幻想交響曲」の続編として作曲された「レリオ」Lelioという作品、これは、ベルリオーズが片思いの女性の気を引くために、旧作を寄せ集め、その間を詩の朗読でつないだ、少々やっつけ仕事みたいな作品です。その「レリオ」のなかに、「エオリアン・ハープ」La Harpe eolienneという 一曲があるのですが、ファンタンの画はその場面からとられたものでしょう。蛇足ですが、ファンタンがベルリオーズを描いた石版画、”Lelio:La Harpe Eolienne"(1888)について、ちょっと補足します。エオリアン・ハープというのは、風によって鳴るという楽器で、その名は古代ギリシャの風の神に由来します。ロマン派の時代には、芸術家に霊感をあたえるもののシンボルとして、好んで題材となりました。この石版画では、ミューズが空中で竪琴をかなで、ベルリオーズがそこから霊感をえるという場面が描かれています。ファンタンには、やはりベルリオーズがバイロンの詩に基づいて作曲した交響曲「イタリアのハロルド」を描いた作品もあったはずです。」

 こう言う解説を各版画に付けられるといいのですが、力不足で申し訳ありません。もし、解説の援助をしてくださる方がいましたら、よろしくお願いいたします。


 最後にマイヨールの「ダフニスとクロエ」の挿画木版。これは美術館のサイトによると、挿画本1冊と黒と赤の別刷り46点、それに試し刷り17点がセットになり500部限定で作られたとのことです。入手時は同じ版が複数あり、試し刷りもあったので、てっきり印刷業者から余分に刷ったものが流出したと思いましたが、セットになっていたとは随分手の込んだことをしたものだと思います。しかし、まったく同じ版が何枚かあったので、やはり、セット外のものと思います。(クリックで拡大、戻るは前記同様)





 数ある版画の中からこれはと思うものを選んでみましたが、あれこれ迷い、時間が掛かりました。版画家ブラックモンは第一回印象派展にタナーの複製版画を出品し、北斎漫画を賞賛し、マネに版画の指導をし、腐食版画家協会の創設メンバーで当時重要な役割を担った版画家ですが、収集版画として見せるより、銅版画の解説を添える、次の機会に譲ることにしました。ドーミエ以外の、例えばアンドレ・ジルのカリカチュールもその内に、それより、何より、最高の木版技術を日本の浮世絵の刷りで、機会があればお見せするつもりです。この度の版画の世界は楽しんでいただけましたでしょうか。次回をご期待ください。と書きましたが、容量制限のため、このサイトでの増頁は無理のようです。拙宅を訪問いただければ、心置きなく手に持ってみていただけますが、ごめんなさい。

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