ミレーを中心に、他に6人の現役及び初心の画家たちが写っている写真を物語る
7.バジールも浮上、黎明期の写真様式も検討
← | よく見てください。「写真」を見れば、前記した事が一目瞭然でしょう。若者が座っているために直ぐには気付きませんが、顔を基準にして、頭身を測ると、胴がかなり長く、長身の人物の特徴が窺えます。また、奥のドガと査定した若者を含めた3人を順に眺め、且つ、椅子の背から上の座高の丈を見れば、遠近法を云々せずとも明らかに、手前の若者が飛びぬけて長身な事がわかります。 |
このラングドック出版で編集された書簡集の中に、若い時のバジールの肖像写真を見つけました。 著作権の問題(3) |
「写真」の若者 | 一番若い頃のバジールの肖像写真 |
セザンヌ20歳の肖像写真 | 著作権の問題(4) |
ブレているので動いたことがわかるし、 瞳が見えず、瞬きしたのもわかります。 | 白線内に帽子が動いた軌跡が残っています。 |
「写真」の年代査定より モネとすれば23歳です。 | モネ20歳の時の肖像写真です。 セザンヌ同様不明。著作権の問題(5) |
ここで重要な問題、この出所不明な「写真」の確証をどのように得るかるかに突き当たります。つまり、当初、唯一の証明は、写されている誰かが、手紙か日記にこの会合、或いは撮影の事を記録しているのを見つけることではないかと考えましたが、確かに当時、写真撮影が今日のように日常茶飯事ではないと想像され、話題として、手紙や日記に書かれているかもしれないと思いましたが、例えば、バジールの書簡集には、写真に関して、1864年にカルジャに撮影してもらった自分の肖像写真(右はその一部)を両親に送ったらしく、それは知り合ったカルジャに、無料で撮ってもらったもので、父親の返事に、弟も撮影してもらうよう、但し、きちんと料金を支払うよう指示している手紙だけでした。 | バジール |
最初、ナダールの肖像写真を参考にしていたので、コロディオン湿式写真だと頭から思い込んでいましたが、戸外撮影の場合、コロディオン湿式写真ではテントの暗室を持ち運んでいたとあり、愚考するに、ガラス板に感光剤を混ぜたコロディオンを塗布するだけならば、それ程厄介とは思いませんが、コロディオン湿式感光板の場合、現像も湿っている内にしなければならない事が一番の難点だったので、それを光を当てずに現像処理をする為に暗室用テントを持ち運ばざるを得ず、戸外ではかなり苦労したのではないかと思います。(写真の歴史の本の中に「持ち運び暗室テント」の図版を見つけたので掲載します。)
そして、写真の歴史を調べているうちに、ナダール撮影のコロディオン湿式写真のところに書きましたが、ガラス原板ではなく、紙のネガでも充分に鮮明な写真が撮れることがわかりました | 戸外撮影用現像テント 著作権の問題(7) |
「凡庸な芸術家の肖像 マキシム・デュカン論」 蓮實重彦著 ちくま学芸文庫の表紙、 デュカンが撮影したカロタイプ写真。 | 写真の歴史に「カロタイプの露光時間は2〜3分、コロディオン湿式感光板では10秒以下」とあります。これは再考したい問題です。 そして、Webサイトに 『卵白乳剤ネガには紙とガラスに作られたものがあります。卵白を使って作った印画紙には鶏卵紙があります。これは欧米では1850年代から1890年の半ばまで約50年間、工業生産されていましたので、現存している19世紀の写真プリントの約80%は、この鶏卵紙になります。古い家で黄ばんで画像が薄くなっている写真がある場合には鶏卵紙が多いのです。鶏卵紙は、大変綺麗なセピア色(セピアとは烏賊の墨のこと)をしておりまして、劣化しますと黄色くなり、次第に画像は薄くなります。』(「写真画像の保存」荒井宏子著)とあるのを見つけました。 |
結局確定はできませんが、 1.戸外での撮影である事。 2.一人の若者の顔がぶれている事。 3.画像の解像度は決して低くはない事。→ | テーブルにコップが映っているのがわかるほど鮮明。 |
文字が入る前の試し刷り。 彼自身のクロッキーを基にした画家ジャン・ジゴー。 1809年ブザンソン生まれ、1896年パリ没。 |
ジゴー(銅版画) | 「写真」の人物 |
先頭に戻る |