豊田佐吉の知られていない世界に挑戦、真相は見つけられるか!

( ドキュメントに原寸の写真を掲載 )


 これがパリの蚤の市で見つけた写真です。いま一葉の写真がこの写真と関連付くと思われますが、まだ調査中です。しかし、この写真が豊田佐吉の欧米視察旅行で、多分フランスで撮影されたものと思われ、現在、豊田佐吉記念館と手紙のやり取りで確認している最中ですが、「豊田佐吉の伝記には欧米視察旅行に同伴したのは、アメリカは西川秋次氏、ヨーロッパは石原卯八氏だけ」ということで、「この写真が佐吉一行である根拠に乏しい」との回答がありました。しかし、最近、トヨタ自動車の創業者として機織を改良した世界的発明家豊田佐吉にスポットが当たり、彼の周りの人々が、インターネット上で、検索できるようになりました。佐吉と後妻浅子の肖像が見付かり、可能性を調べていた矢先、長男・喜一郎と共に娘・愛子、彼女の結婚当時の写真も見付かり、佐吉の弟・平吉の肖像写真も見付かりました。決定的と思えたのは、西川秋次氏の後年の肖像写真がインターネット上で見付かったことですが、加えて、佐吉の郷里の擁護者の後継者九代目石川藤八氏の肖像画が見付かり、この記念撮影の写真が、佐吉の欧米視察旅行の時であると確信し始めましたが、それは一方的なもので、前記のように、豊田佐吉記念館からの回答は否定的なものです。しかし、今一人の和服を着た婦人について、豊田佐吉記念館に佐吉の妹の有無を問うていたところ、一人の妹がいて地元の人に嫁いだとの回答を得、それが、石川藤八氏であるならば、出来過ぎですが(石川藤八氏ではないとの回答がありました)、この写真に写っている人たちが、佐吉の家族、弟妹、友人それに、伝記に名の出る西川、石原の両氏という査定が可能になります。豊田佐吉記念館から、豊田佐吉記念館保存会にバトンタッチされた現在、「古い時代の事で、明確な結果が得られるという保障も出来かねます。」との返事を再度いただき、世界に冠たるトヨタ自動車がその創業者の周辺を本気で調べる気になればいくら古いこととは言え、まだ百年は経過していない出来事です、間違いなく判明すると思いますが、本業ではない趣味には付き合えないということなのかもしれません。それより、この写真を見続けて、後妻・浅子と言う女性が傑出した人物だったのではないかという印象が強く残り、そのことだけでも伝えたいと思いました。そんな写真の人物追跡です。読んでみてください。尚、佐吉関係の画像の多くを「はんだ郷土史研究会」から提供を受けたことを申し添えます。尚、最後となる、豊田佐吉記念館保存会からの手紙(平成21年4月28日付)を追記しました。
 2009年8月22日に【重要な追記】として、石原卯八氏のひ孫の当たる方よりメールを頂き、加えて二葉しか残されていない貴重な肖像写真を送って頂き、記念撮影に写っていると推定した人物との比較検討を追記しましたが、ここへの記載(10月22日)を忘れました。お察しの通り、卯八氏の肖像写真によって確定は出来ませんでした。まだ、記念写真に写っている工場主と思われる人物を探し出す調査が残されています。乞う、御期待。