多分、多くの人が半信半疑という所でしょう。ただ、これを手掛かりに、「二葉目の写真」の人物探しが大いに進展して行きました。
ホイッスラーを調べると、意外なことに、クールベとのつながりが現れてきます。クールベは1865年に北フランスの避暑地トルーヴィルに行き、ホイッスラーとその恋人ジョーに会い、彼女をモデルに数点描いています。翌66年にもパトロンの一人ショワジュール伯爵の招待を受け、ドーヴィルに滞在、ブーダンとモネ、モネの彼女カミーユを食事に招待しています。これは、一葉目の写真のシャイイ村でモネが「草上の昼食」を描き、そのモデルをクールベがかってでた話ともつながり、バルビゾン村の住人ルソーともつながります。そして、モネの「草上の昼食」の中で4人分のモデルを務めたバジールの身長の事で参考にしたファンタン=ラトゥールの「バティニョルのアトリエ」と同形式で群像を描く「ドラクロワ礼賛」のなか、中央に立ってこちらを向いているのが、ホイッスラーで、ファンタン=ラトゥールと特別の仲のよさがうかがわれます。
ここで「二葉目の写真」にもしかしたら、ファンタン=ラトゥールもいるかもしれないという考えが浮かんできます。そして、それが、1867年に万国博覧会美術展の委員長に任命されたルソーの年代で誰かいないだろうかという発想につながり、当時一番著名な画家というと誰なのだろうか調べると、現在ではほとんど忘れられた、万国博覧会美術展副委員長に任命されたメッソニエという名が出てきます。この二人を調べ、「二葉目の写真」の中に見付けられれば、相互の確証にもなり、写真が撮られた状況も見えてくるかもしれません。
その前に、ホイッスラーの確認を取っておきます。