クールベとルソー、他に7人の画家たちが写っている写真を物語る



――      まず、クールベ   次に、ルソー     ――


修正写真を掲載します



二葉目の修正写真

 修正により、各人の顔の判別が容易になったでしょう。 顔見知りはいますか?



では、まず、クールベに関して、なぜならば、前サイトのミレー同様、この写真に気を惹かれた理由がこの人物だったからです。というものの、特定の誰々ではなく、見たことがある顔だという程度で、すぐにクールベと判明したわけではありません。




クールベ




切り取って検討


写真からの切り抜き  ←  この人物が最初に、どこかで見たことがあると思った人物で、なんとなく見知ったように思った顔だったのですが、すぐには誰だかわかりませんでした。予想は当たっていたでしょうか?
右の画像がモネが1865年から66年にかけてシャイイで描いた「草上の昼食」のモデルになったクールベです。これは前サイト「写真:ミレーと・・・」と絡んでいます。
(モネ作「草上の昼食」はオルセー美術館に切断された2つの部分として展示されていました。この画が何故切断されたかなどのエピソードは前サイト5章の中ほどに書きました)
  →  モネ描くクールベ

モネの描いた人物との比較で充分だとは思いますが、そのほかのクールベの肖像写真も掲載します。

クールベ肖像写真   顔拡大   カルジャ撮影クールベ


以上で、写真の人物がクールベであることは間違いないと賛同していただけるでしょうか?






○ 途中ですが、この二葉目の写真の来歴について語ります。


入手先は、警察の取締りが厳しくなって見掛けなくなってしまいましたが、場所代を払わない売人たちがたむろする蚤の市のはずれで、たまたま呼び止められて見せられた古い写真の中にありました。すべての写真が薄くなっていました。つまり、保存状態の悪い19世紀後半及び20世紀はじめと思われる写真でした。今から思うとすべて購入しておけば、他にも掘り出し物があったかもしれず、撮影者に関する手掛かりも得られたかもしれなかったので、残念なことをしたと後悔しますが、その時は彼の要求する金額を持ち合わせていず、四葉を購入しただけです。その中に見た顔があると感じてこの「写真」も選びましたが、「一葉目の写真」の“ミレーかもしれない”というような、誰か確信があって選んだわけではないので、写真の方が呼びかけたのかもしれません。呼びかけた本人が、「一葉目の写真」の査定の過程で、モネ描く「草上の昼食」のモデルとして、「俺だ!クールベだ!」と叫び。そして、いま一人、ミレーと同じバルビゾン村の長老の姿が浮かび上がりました。

 参考に、同時に購入した他の三葉の写真も縮寸掲載しておきます。
 その当時は現在のように、パーソナル・コンピューターもデジタルカメラも普及していず、写真の修整が今日ほど容易ではなかったので、蚤の市の場末で、画像の薄れた「二葉目の写真」が入手できた幸運を改めて思います。真ん中の写真も同じサイズですが、高さを横長の写真に合わせました。写真をクリックすれば原寸大の写真が見られます。思いついて急いで撮ったのであまり鮮明ではありませんが、そのうちサイトで。


アイススーケート日本姿中州の島






ルソー




切り取って検討


写真からの切り抜き  ←  「写真:ミレーと6人の画家たち」で当然バルビゾン村のミレーの先輩、テオドール・ルソーに関してかなり以前から調べていましたが、なかなか肖像写真が見つからなかった経緯がありましたが、そのことが、この横顔の人物の査定に役立ました。
カルジャ撮影のルソーの正面肖像写真です。これでも充分ルソーであることが判明すると思いますが。下に同じサイズにした比較を掲示します。  →  カルジャ撮影ルソー肖像写真

顔切抜き   ルソー肖像写真


横顔と正面で、正面の肖像は顎を引いているので、顎を引いていない横顔と鼻の長さが見た目で違うように感じますが、デバイダーで測ると差はなく、頭髪の禿げ上がり状態や、鼻の下のひげの感じ、小鼻の形などで、同一人物とするのに問題はないでしょう。






ここまでは順調でしたが、この後が続きません。当時の画家の肖像をしらみつぶしに調べれば、何人かそれらしい人物に行き当たるかもしれませんが、賢い方法とも思えず、何とか絞り込めないかと、無い知恵を絞り、出てきた考えは、根拠は希薄ですが、「一葉目の写真」のミレーを中心にした美術界の周縁グループとは違い、「二葉目の写真」に写っている人物は、クールベと後年のルソーと言う事で、中央美術界で、当時それなりに評価されはじめた画家及びそれに関係した人達ではないか。年代を、1855年の第一回パリ万国博覧会に2人とも特別な展示をしているので、その年からルソーの没年で第二回パリ万国博覧会が開催された1867年の間と仮定して、肖像を捜す事にしました。しかし、ミレーやクールベや印象派に関する本は、図書館にも書店にも何冊も在るのに、当時の美術界の中心にいた官学派の画家に関するものはほとんどありません。ルソーの肖像探しにさえ時間がかかったように、画集を見つけるのも容易ではなく、その上、必ず本人の肖像が見つかるとは限りません。調査開始当時は今日ほどコンピュータが普及してなく、フランス国立図書館写真室に写真の黎明期からの芸術家の肖像写真が収集されていることも知りませんでした。そういえば、兄から日本語のワードプロセッサーのお古を譲り受けたのがこの頃です。まだノートパソコンなど手にしていません。そんな状況の中で、古い美術誌でも漁って手掛かりを捜そうかとも考えましたが、全員が画家であると決まっているわけでもなく、美術関係ばかり探しても見付からないかも知れず、判明した二人以外に見知った顔はなく、何を突破口にして良いやら、手の付けようもなく、気にかかるものの、長いことほって置くことになりました。しかし、偶然に入ってみた展覧会場に、手掛かりが!・・・・・